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蓮池薫さんが伝える北朝鮮の農業事情

新潮社の雑誌「波」に連載されている蓮池薫さんの「拉致と決断」。その第7回に北朝鮮の農業に関する非常に詳細な記述があった。

これを読む限り北朝鮮の農民は勤勉だと思うのだが、蓮池さんが疑問を呈しているように、それにもかかわらず頻繁に凶作と飢餓に見舞われるというのが非常に不思議だ。ソ連のコルホーズとソフホーズ、あるいは中国の人民公社の失敗を思い起こさせる。

北朝鮮の農業は集団経営である。一つの村が一つの協同農場になり、そこに組み入れられた農民は協同所有の土地を耕作して、収穫物から労働の質と量に従って分配を受けていた。だが、その一方で各農家には三〇坪までの個人農地が与えられていた。土地の所有権はないが、そこで生産されたものは各自自由に処分できた。実はこの狭い個人農地が、「苦難の行軍」(北朝鮮では九〇年代後半の厳しい食糧難を克服する闘争をこう呼んでいた)の時期に農民の生活を大いに支えた。協同農場の作柄は悪くても、個人の畑はほとんど例外なく青々としていて豊かな実りをもたらした。理由はほかでもない。協同農場とは比べられないほどの手間と智恵と資源をつぎ込んでいたからだ。

協同農場の農業は年間を通して単作かせいぜい二毛作だが、個人のうちでは三毛作が普通だった。凍土が溶ける三月末に早生のジャガイモを植え付け、それが芽を出し何枚かの葉をつけるころになると、すかさず横にトウモロコシをまいた。さらに、成長したトウモロコシがまわりに影を落とすころにはジャガイモを収穫し、代わりに白菜や大根など秋野菜の種をまく。九月初めにトウモロコシが刈り取られると、秋野菜は日光を浴びてすくすく育ち、十一月中旬のキムジャン(キムチづくりの年中行事)の直前に収穫される。この間、畑には雑草一本見当たらない。表土が絶えずホミという朝鮮独特の除草具で掻きまわされているからだ。一年間フル回転した個人のうちは、ようやく翌春までの眠りにつく。ただ、畑の一角にはニンニクが植えられ、その上は枯れたトウモロコシの茎でうずたかく覆われる。その下でじっくりと根を伸ばしたニンニクは、翌年の三月初めごろになって勢いよく芽を出すが、これまで含めると実に四毛作となる。

個人農地で作られた農作物は市場で売られるか、家庭で食されるほかは、豚の飼料にまわされた。当時はほとんどの農家が個人的に豚を飼っていた。一〇〇キロほどに育てば、協同農場で働いて得る農民の平均年収よりはるかに高い収入をもたらすのだから無理もない。家の近くに山や草地がある農家ではヤギを飼っていたが、その乳も家の子どもたちの貴重な蛋白源になるとともに、栄養たっぷりの飼料として豚を肥やした。

生産されたトウモロコシで、こっそり焼酎を作る家もあった。売って現金収入を得るという目的もあったが、酒を蒸留したあとの粕はこれまた豚のいい飼料となる。アルコール分の混じった餌をしこたま食べた豚は、ほろ酔い気分でぐっすりと眠り、ますます太る。豚の排泄物も貴重な資源だ。人糞と同様、質のいい肥やしとなって畑に撒かれ、多毛作で酷使された個人農地に英気を取り戻させる。各農家は協同農場に一定の量の肥やしを出す義務を負っているが、まず個人農地用をしっかり確保したうえでの供出だったので、いいものは出ないと聞いた。そのせいもあってか、協同農場の畑は赤茶けてやせて見えたが、個人農地はいつも黒々としていた。

立体的かつ有機的に連鎖した「個人農地」には、人間の限りない知恵と生命力が感じられたが、このパワーがどうして協同農場には発揮されないのだろうと、もどかしい思いも禁じえなかった。

【蓮池薫著「拉致と決断」 @ 「波」(新潮社)】

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